今日は久しぶりにサッカーボールを蹴ってきました。
サッカーボールとはかれこれ20年以上の付き合いです。
暇なとき、悩んだとき、怒ったとき、迷ったとき…
どんなときでも近くの公園でボールを蹴ってました。
何も考えずにリフティングをしていると、周りの音が聞こえなくなって、ボールと自分だけの対話をしているような気分になる。
インサイドに当てるとどうかな、アウトサイドはどうか、インステップでミートする感じはどうか…足のあたる場所を微妙に変えながらボールと対話することを続けてきました。
でも最近はどうもご無沙汰で、ジムで器具を使ってやってみたりしていたけど、やっぱり私はサッカーボールを汗だくになって蹴るほうがいい!
とじんわりと思いました。
さてさて、頭の中を最近めぐっていることがあります。
私、以前に
もういっちょ認知行動療法
なんて記事を書いたんです。
でも、別に認知(行動)療法から入っても別にいいんじゃないかと思うようになりました。
じゃあ何が私を上記のような記事を書く気持ちになったのかというと、やはり力動的な発想を持つことが重要だと思ったからです。
面接が進む過程で、セラピストがクライエントに対してどのような気持ちになるか、なぜそのような気持ちになるのか、自分自身の関わりはどうか、クライエントが遅刻やキャンセルした場合にどのようなことが起きていると考えるか、そういった視点が重要だと思うのです。
でも別に、「逆転移」という概念に当てはめる必要はないと思います。認知療法家だったら「どんな自動思考が浮かぶか」でもいいと思うのです。あるいはキャンセルや遅刻がクライエントの自動思考や陥っている悪循環とどのようにつながっているのかを考えることでいいと思うのです。
何が言いたいのかというと、「自分がクライエントやケース自体に対してどのように思っているか、感じているか、自分の関わりはどうなのかを常にモニタリングする習慣」を持つこと、「全てを意味のある情報として捉える姿勢」を持つことが重要だと思うのです。
私の見た認知行動療法家は上記のような視点や姿勢を持っているように見えず、そのことを過度の一般化している面もあって、
の中では「クライエントが課題をやってこないとすれば、それはクライエントに適切な課題ではなかったというセラピスト側の問題も大きい」ことを述べていて、認知行動療法家の中にはこうした視点をしっかりと植えつけようとする方もいるのを知って、私の見方も狭かったと思っています。
当たり前過ぎて鼻血がでちゃうと思いますが、少なくともセラピーがうまくいかないことを一方的にクライエントの責任にしてしまうようなセラピストにならないようにしていかなくてはいけませんね。
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