あー、何気に高田万由子ってかわいいな。
と思っている ダノンです。
今日は本紹介です。
これ、心理学の本(仮題)で紹介されていたのでちょっと興味を持っていたんですが、立ち寄った本屋に見つけて買ってみました。
なんていうのかな、マイケル・ホワイトの「物語としての家族」がフーコーの著書を読みやすくしたものだとすると、「物語としての家族」をもっと読みやすくしたような…そんな感じがするような、しないような。読み口は軽くて読みやすいですよ。難解な表現が少なく、著者の体験談を踏まえているので面白いです。専門書というよりも読み物としての楽しさがあります。
要は問題の外在化を用いた自分で出来るセラピーなんですね。セラピーというか、生きやすくするためのウィットに富んだアイデアとでも言うべきでしょうか。
ここに出てくる「妖怪」は問題の外在化に用いられるものであって、「人前であがってしまう」というのは「妖怪:ぶるぶる」の仕業というわけですね。そうすれば、今まで自分を責めていたところから、違うところに原因をシフトでき、気分的に楽になれることに加えて問題を客観的に眺めることが出来るというわけですな。その際に嫌がらせの内容や嫌がらせがない時(例外)などを探し、最後の「セレモニー」と称して妖怪と決別していくという感じ。
実際にセラピーの場面で、「それは妖怪ブルブルの仕業ですな」なんて言ったらある程度の年齢までは可能かもしれませんが、ドン引きされるような気がしてなりません。というわけで個人的にやれればいいわけですね。そもそも、妖怪を登場させる余裕や柔軟性がある方は自然に良くなっていかれるような感じもしますが…
それから、この本では使用上の注意として、「成長したい人や学ぶべきものがある人の場合」は安易に妖怪に頼らない方がいいとあって、結局は「我慢しても何も得られないとき」に用いるといいのではと提案しているのですが、その判断が難しいような気もします。何も得られないという支配的なストーリーを変えることもナラティブなのでは?とか思ったり。
私としてはこの本で役立ったのは社会構成主義について、簡単に記述してあることです。今まで難解で分かりにくかった社会構成主義を噛み砕いているので、これから段階的に学んでいくための入門的な本ではないでしょうか。
また、社会構成主義の記述の中で、「支配的なストーリー」と「もう1つのストーリー」についての話題があり、このあたりはセラピストとして改めて勉強になりました。そこではセラピーの場面で暗黙のうちに出来上がっている「治療する側」「される側」の関係性を社会的な視点から検討していますので、私のように社会構成主義をよく知らないセラピストは読む価値はあると思います。
それから、後半の妖怪紹介。著者が妖怪の現れそうなところを写真に収め、そこに妖怪を描くことで読者の理解を促しているんですが、これがウケル!例えば「あすこここ」という言うことがコロコロ変わる妖怪がいるんですが、これが国会議事堂の前に描かれているんですね。この部分だけでも楽しめますですよ。
まとめです。
私としては、後半はほとんど妖怪紹介にページを割いてあるので、読み方としては「立ち読み」がいいと思います。
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