世界樹の葉を探しているダノンです。あまり「調べる」ばかりしていると嫌われる気がします。
今日は大学院について語ってみようかと思います。
大学院選びは慎重にやった方がいいと思うけど、どこまで情報を得られるかってことだよな。でも、結構内情を知るのって難しいと思うんだよな。
一体どんなところを基準に選んだらいいのかって難しいところだと思う。
私は臨床も研究も同様の論理性、妥当性、思考力を要すると思う。臨床かは自分の介入をきちんと説明できるだけの根拠とそれを説明できる力が必要だから(実際はとても難しい!でもそれがちまたの占いや○○○○○○○カウンセリングと異なるところ)。でも、大学院によってはバランスの悪いところもあると思うんだよな。
最悪なのはどちらも中途半端なところ。ここだとあまり力がつかない気がする。修論は何でも通ってしまい、臨床はみんな受験資格を得られちゃうようなところ。それくらい優秀な人たちが集まっているなら構わないけど、そうじゃないところもある。これは確信に近い。
私は基本的に旧帝大と高等師範(筑波+広島)は少なくとも研究に関しては能力の高い人が集まり、そして鍛えられるのだと思う。臨床に関する研究で目にする人の多くは上記の大学の人がほとんどだろう。
ただ、臨床のトレーニングに関して言えば、上記の大学院がすべて優れているとはいいがたいようにも思う。
臨床は研究と同様の思考を必要とすると思うが、トレーニングはまた別物と私は考える。
言ってみれば「修行」ができる場所かどうかが重要だと思う。
私たちの職は接客業だ。さらに言えば人の人生に関わる接客業だ。接客は基本を学び、それを体験を通して十分のものにしていくのだと思う。その際に厳しさを求められても当然じゃないかと思う。その当然たる厳しさをどこまで求められるかというところが重要なのだと思う。
修了できない人がいること、ドロップアウトする人がいることは1つの指標にならないか。大学は独立行政法人となり、ビジネスを考慮すればドロップアウトは売りこぼしのようなものだ。それでも辞めていく人がいるということ(これはしっかり情報を得なくてはいけないが)は、大きな指標になると思われる。
私は上記の大学院以外でもいい大学院はもちろんあると思う。「どのくらい厳しいか」ということを基準にすることが重要だと思う。
じゃあ、「厳しさ」とは何か。
修士論文で安易に事例研究を奨励していないか
論文の内容が不十分で修了できなかった人はいるか
ケースを持てる基準はあるか。また、なかなかケースを持てずに苦しんでいる人がいるか
指定校だが2年間の取り組みから臨床心理士の受験資格を得られなかった人がいるか
などかなぁ。これらは大学院としたらあまり公にしたくないことかもしれない。だから、情報をどう仕入れるかが大事かな。これらのどれか1つでもここ数年間にあるなら、しっかりとやっている可能性があると思います(もちろん、学生の問題が大きい場合もあると思います)。
いろいろ書いてきましたが、結局は各人次第である部分が多分にあることは言うまでもないこと。
ちょっと偏っているかもしれませんが、こんな感じです。結局、内情を知ることが大事だね。やっぱり、大学院選びは難しいなぁ。
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