食っちゃ寝星人ダノンです。数週間ぶりにのんびりな週末でっす。
さてさて認知療法学会の収穫②です。
2日目は伊藤絵美先生のワークショップに出ました。 WSなのでブログに書くのはどうかとも思いましたが、伊藤先生自体が「手の内を明かす」というスタンスを大切にしているので、扱ってもよいかと。ただ、リスナーの方のことを考えて、内容ではなく、印象に残った“言葉”のみに触れたいと思います。
基本となるのは
とか
これ
なのですが、いやいや出てよかったよ、このワークショップ。
はっきりいって、認知行動療法には様々な形があるわけで、伊藤先生がやっている認知行動療法も伊藤流という感じなのよね。
それにしてもこのワークショップ自体がリスナーと先生の共同作業で作り上げていると思いました。
何度も先生が強調していた点は「アセスメントあっての介入」ということでした。
認知(行動)療法の誤った広がり方として、“認知が歪んでる”→“はい、コラム表”みたいな使われ方が挙げられますよね。
要は、悪循環に陥っているパターンを確認し、適切な根拠の元に用いなければならないということでしょう。
これって認知行動療法に限らず、当たり前のことですよね。多分、認知行動療法は使いやすそうに思えるから特にこの点を強調なさったのでしょう。
なぜそれをするのか(したのか)。きちんとそのことをクライエントに説明できなければならないという、アカウンタビリティを大切にした考え方だと思います。結局はそのことがクライエントの動機付けにもつながるんだと思います。
それから「認知行動療法では簡単に共感しません。イメージできるまでどんどん聞きます」という点。
これも当たり前といえば当たり前なんですよね。私の指導者は力動的心理療法家でしたが、同じことを言っていました(もちろん連想を邪魔しないというのは前提にありますが)。別に認知行動療法に限らないのではないでしょうか。
しかし、先生がそれを強調するのは巷の臨床家がいかに「わかった気」になってフンフン頷いているかということでしょう。私は「共感」ということは何もセンスでなされるものではないと思います。クライエントが「分かってもらえた」と感じるような関わりは適切な知的理解に基づく感情理解であると思うのです。
もっというと、共感的に関わるために“聞く”のだと思います。3くらいの質問で共感的な理解が出来る内容もあれば、10くらい聞かないと共感的な理解ができない内容もある。下手に分かった気になる危険性を指摘しているのだと受け取りました。
そんなこんなでですね、伊藤流認知行動療法の基礎を学べたのは何よりも収穫だったのですが、伊藤先生の仰ることがどの療法にも通じるセラピーの基本を大切にしているということを知ったことが収穫でした。
今まで出会った認知行動療法家の多くが“技法ありき”だったりしました。でも、“クライエントを理解する”“クライエントに添う”ということをきっちりやることが重要なのだということを確認しました。
ただし、1つ疑問も。
伊藤先生が言うには「面接の進め方など、Thが悩んだときはとにかくClに聞く」と言うんですね。確かに大切だと思うんですけど、必ずしもクライエントはThとの関係の中で思ったことを言えないのではなかと思いました。
このあたりはやはりノンバーバルを聴く力が重要になりそうだと私は考えています。そして、認知行動療法を進めていく上で、分析的理解やフォーカシングなども大切な材料になりそうだと改めて思ったダノンでした。
さてさて、その夜。不動産鑑定士、銀行員、スッチー、大学助手、香港勤務の商社マンとバラエティーに富んだメンバーが吉祥寺に終結。私、フットサルの疲労感そのままにビール5杯飲んだ後に芋焼酎を2ビンを2人で開けたんです。飲み始めたのが19時。22時以降は記憶にありません。カラオケに行ったらしいのですが、私は腕組みをしたまま寝続け、何かに気づいたかのように「バッ」と席を立って夜の街に消えたそうです。
私の相方の話では…
ダノン:(ロボットのような口調で)みんなとはぐれちゃった
相方:ええ?大丈夫?
ダノン:ダメ。×Щ□△※…迎え来て。
相方:ええ?嘘でしょ?
ダノン:グリコ、グリコ、森永、亀田三兄弟♪~楽しいな~♪じゃーねー
翌日、なかなか電話に出てもらえず、切れられました。私はと言うと、吉祥寺駅前のアーケード内「松屋」の前でうつ伏せに寝ており、捜索中の友人に保護されたとか。
悔しいかな(何が?)翌日の朝はそこの松屋でヘルシーチキンカレーを食ってやりました(朝からカレーってヘルシーでもなんでもないね)。
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